大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 平成2年(ネ)151号 判決 1991年10月30日

控訴人(反訴原告。以下「控訴人」という。)

高橋恵美子

同(同)

今泉尚美

右二名訴訟代理人弁護士

中村成人

被控訴人(反訴被告。以下「被控訴人」という。)

兵藤ゆみ子

右訴訟代理人弁護士

小栗孝夫

小栗厚紀

石畔重次

橋本修三

後藤脩治

主文

1  本件控訴をいずれも棄却する。

2  控訴人らの反訴請求をいずれも棄却する。

3  当審における訴訟費用は控訴人らの負担とする。

事実及び理由

一当事者双方の申立

1  控訴人ら

「原判決を取り消す。被控訴人の本訴請求をいずれも棄却する。(当審における反訴請求として)被控訴人は、控訴人高橋恵美子に対し金二九八万一三三八円、控訴人今泉尚美に対し金一〇一万四〇六一円、及び右各金員に対する平成元年一一月一一日から支払いずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び反訴請求につき仮執行の宣言を求めた。

2  被控訴人

主文同旨の判決を求めた。

二事案の概要

本件は、被控訴人が原判決別紙交通事故目録記載の交通事故(以下「本件事故」という。)による控訴人らの損害はないとして、控訴人らに対し、被控訴人には本件事故に基づく損害賠償義務がないことの確認及び既払損害賠償金の返還を求めた事案(本訴)であり、原審は、右請求を全部認容した。

当審において、控訴人らは、被控訴人に対し、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条に基づき、本件事故による損害賠償金及び遅延損害金の支払を求めた(反訴)。

1  争いのない事実等

(一)  控訴人らと被控訴人との間で本件事故が発生し、控訴人らは、右事故による負傷の治療であるとして次のとおりの治療を受けた。

(1) 控訴人高橋

① 入院(磯病院)

平成元年一一月一三日から同月三〇日まで 一八日間

② 通院(磯病院、今泉病院、整体)

平成元年一二月一日から平成二年七月二一日まで 二三三日間(実日数八九日)

(2) 控訴人今泉

① 入院(磯病院)

平成元年一一月一三日から同月三〇日まで 一八日間

② 通院(磯病院、新城市民病院)

平成元年一二月一日から平成二年一月一二日まで 四三日間(実日数一八日)

(当事者間に争いのない事実、<書証番号略>及び当審における控訴人高橋恵美子本人尋問の結果により認める。)

(二)  被控訴人は、被控訴人車を自己のために運行の用に供していた保有者である。 (当事者間に争いのない事実)

(三)  被控訴人は、本件事故により控訴人車に生じた物損につき控訴人高橋との間で示談してその支払を了したほか(そして、本件事故による物損の額がなお存することの主張立証はない。)、本件事故により控訴人らに生じた傷害の損害賠償内金として、控訴人高橋に金七万三一〇二円、同今泉に金一三万三八一八円を支払った。 (当事者間に争いのない事実)

2  争点

控訴人らは、1(一)の治療が本件事故による負傷の治療として相当なものであるとして、① 控訴人高橋につき前記治療の治療費、入院雑費、休業損害、入通院慰謝料、後遺症慰謝料(自賠法施行令別表第一四級に該当する後遺症)及び弁護士費用の、② 同今泉につき前記治療の治療費、入院雑費、入通院慰謝料及び弁護士費用の各損害金、並びに遅延損害金の支払を求めるのに対し、被控訴人は、控訴人らは本件事故により負傷していないと主張する。

三争点に対する判断

1 控訴人らが本件事故により負傷したとして医療機関等で二1(一)のとおりの治療を受けたことは、前記のとおりであり、また、控訴人高橋恵美子本人は、当審において、控訴人らの入院に至る経過につき、① 控訴人らは本件事故当時不安定な姿勢をとっていたため、控訴人高橋は本件事故の衝撃により瞬間的にのけぞった後、首がハンドルに近付くような状況になった、② 控訴人らは本件事故直後には身体に特に異常は感じなかったが、控訴人高橋は当日の豊橋警察署での事情聴取の直後、腰に痛みが走りその後その痛みが続いた、③ 本件事故の翌日の夕方以降、控訴人らはともに三七度くらいの発熱があり、控訴人今泉は首が痛く頭も重い様子であった、④ そこで、控訴人らは本件事故の翌々日の平成元年一一月一三日磯病院で受診したところ、医師に安静にしていた方が治りが速いと言われたので入院することにした、⑤ 控訴人高橋の腰痛はまだ持続しているなどと供述している。

2  しかしながら、以上のような控訴人らが治療を受けた事実や控訴人高橋の前記供述をもってしても、控訴人らが本件事故によって負傷したと認めることはできない。その理由は、次のとおりである。

(一)  まず、本件事故の態様についてみるに、<書証番号略>並びに当審における被控訴人及び控訴人高橋恵美子各本人尋問の結果(同控訴人は一部)によると、本件事故は、右折態勢に入ってほとんど停止していた控訴人車の左後部角付近に、時速約一〇キロメートルで進行して来た被控訴人車の右前部が擦過するようにして接触し、控訴人車が僅かに前方へ押しだされて停止したというものであることが認められ、したがって、衝突により控訴人車に加えられた衝撃の程度は比較的軽微なもの(<書証番号略>において推算されている0.54Gと大きな隔りのない程度)であったと推認され、そうだとすると、控訴人らにいわゆるむち打ち損傷の生ずべき頸部の過屈曲・過伸展をもたらすに足る外力が加えられたといえるのかは多分に疑問である。

控訴人らは、被控訴人車の右当時の速度は時速一〇キロメートル以下とはいえず、また、衝撃の程度も高いと主張し、前掲控訴人高橋恵美子本人の供述中にもその趣旨に解される部分があるが、全証拠によってもこれを支持する資料は何ら認められず、前掲被控訴人本人尋問の結果に対比してこれらを採用することはできない。

(二)(1)  <書証番号略>によると、磯病院の入院診療録には、控訴人らの初診時の所見として、控訴人高橋が「腰痛、前後屈痛」と、同今泉が「右頸部痛」と記載されており、また、同控訴人は、同病院への入院中吐き気を訴えたこともあると認められる。しかしながら、これら症状は、もっぱら控訴人らの自覚のみに基づくものであるうえ、右各証拠によれば、控訴人高橋のラセーグテストも同今泉のスパーリングテストも異常を示さなかったことが認められるのに、同病院においてはこれ以上の神経学的検査が施行されたことを窺うべき資料はない。そして、当審証人磯隆俊の証言によると、同病院では入院の必要性の判断につき、痛みを速く改善したいとの患者の希望に沿う場合もあることが認められ、このことと控訴人高橋の前記1④の供述及び<書証番号略>の初診時の診断傷病名が控訴人らの主訴と同一のものであること(控訴人高橋が「腰部挫傷」、同今泉が「頸部挫傷」)を併せると、同病院では、控訴人らの所見につき控訴人らの訴えるところを可及的に尊重して控訴人らの傷病名の診断をしたうえ(同病院の診断方針が右のようなものであった事実は、当審証人磯隆俊の証言により認める。)、これを前提としてその愆慂により控訴人らの入院の決定が行われた可能性が強いというべきである。

また、<書証番号略>、当審における控訴人高橋恵美子本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によると、控訴人らはかねてから友人関係にあり、同病院の同じ病室に、前記のとおり同じ日に入院し、同じ日に退院したことが認められる。そして、右退院にあたり同病院では退院の可否を判断するための検査が実施された形跡がないこと、及び入院にあたっての同病院の前記診断方針を併せると、控訴人らの退院は、控訴人らの申出ないし意向に沿ったものである可能性が強い。

(2)  以上のとおり、控訴人らの磯病院の入退院は、その訴えないし意向を決定的な根拠として決定された可能性が強く、少なくとも控訴人らが負傷した事実の存否について医療専門家としての十分な検討がなされていないものであることは明らかであるから、医療機関への入退院がされたからといってその事実のみから直ちに控訴人らが本件事故により右診断に係る負傷をしたとすることは相当ではないというべきである。

(3) もっとも、<書証番号略>によると、いわゆるむち打ち損傷の臨床所見の一として腰痛の生ずる場合があること、及び控訴人高橋には本件事故後の平成二年四月一二日付で第三、第五腰椎にしこりがみられるとして今泉病院の医師により「腰椎捻挫」の診断がされていることが認められ、前記の通院期間がかなり長期にわたることも考えると、同控訴人の腰痛の訴えをあながち虚構のものとして斥けることはできないと考えられる。しかしながら、<書証番号略>(今泉病院の診療録)によると、同控訴人に係る今泉病院の診療録には「仕事の関係で腰痛、肩凝り」との記載があることが認められ、右の趣旨は、その体裁及び内容に照らし同控訴人の訴えを記載したものと窺うことができ、更に、当審における調査嘱託の結果及び控訴人高橋恵美子本人尋問の結果によれば、同控訴人は、本件事故後豊橋警察署に赴いた際、車中から車検証を取り出そうとして無理な姿勢で体をひねって手を伸したときにはじめて腰に痛みが走ったと供述していること、同人の勤務先での仕事は、オートバイの部品取付を終日立作業で行うものであることが認められ、前記のところから、磯病院における診断も腰痛の態様及びその原因を具体的に解明したものではなかったと窺われることも考え併せると、同控訴人に真実何らかの腰痛があったとしても、それが本件事故によって生じたものと認めることは困難であるというほかはない。

また<書証番号略>及び当審証人磯隆俊の証言によると、控訴人今泉は平成元年一一月一三日に撮影したレントゲン写真上には頸部の生理的彎曲が消失していたこと、及び右彎曲の消失は頸部が痛いことによっても生じ得ることが認められる。しかしながら、① 同控訴人が右当時スパーリングテストの異常がなかったことは前記のとおりであるうえ、同控訴人に頸椎の変形を窺わせる資料もないこと、② 同控訴人はその後同月二五日まで頸部痛を訴えているが(右事実は、<書証番号略>により認める。)、もし同控訴人の頸部損傷が器質的損傷に至らないいわゆる捻転にとどまるとすると、右訴えはこのような損傷の通常たどる転帰と合致しないこと(右は、<書証番号略>により認める。)、及び③ 前記(一)の本件事故による衝撃の程度を併せると、右彎曲の消失があるからといって同控訴人には本件事故に由来する頸部の損傷が生じたとすることには疑問があるというべきであり、右の事情も同控訴人の本件事故による負傷を認めるべき根拠となるものではない。

(三)  また、控訴人らの前記通院の事実も、それが右入院に継続する磯病院ないし転院先での治療等であって、その後の症状の増悪や新たな症状の発生によるものではないと認められることからすると(右事実は、<書証番号略>、及び控訴人高橋恵美子の当審における本人尋問の結果により認める。)、右入院に係る判断が前記(二)のとおりであることに鑑み、本件事故による負傷を認めるべき根拠となるものではない(なお、控訴人高橋の今泉病院への通院の事実がその根拠となるものではないゆえんは、前記(二)(3)で述べたとおりである。)。

なお、被控訴人が控訴人らに支払った損害賠償内金については、控訴人らが本件事故によって負傷したものとは認められない以上、支払の法律上の原因がなかったことが推認されるというべきであるから、その返還請求は理由がある。

よって被控訴人の本訴請求を全部認容した原判決は相当であって、本件控訴はいずれも理由がないからこれを棄却し、当審における反訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官野田宏 裁判官園田秀樹 裁判官園部秀穂)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例